『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが地の果てにまでも、救いをもたら
すために。』――異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の
命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全
体に広まった。(使徒言行録13:47~49)
使徒言行録13章13節以下には、パウロたちの一行が安息日にアンテイオキアの会堂で語った様子が記されている。パウロ
たちは、アブラハムの子孫であるイスラエルの民が神の御心によって、エジプトの地から導き出され、500年以上にわたる
荒れ野の旅の後、ダビデ王の子孫に救い主イエスを送られたこと、洗礼者ヨハネが主イエスを証ししたことを述べ、その
主イエスをイスラエルの民は十字架に架けて墓に葬ったが、神はイエスを死者の中から復活させられ、弟子たちに現れたこ
とで、主イエスを信じる者は皆、この方によって義とされる(正しい者と見なされる)ことを宣べ伝えた。
次の安息日には、ほとんど町中の人がパウロたちが語る主の言葉を聞こうとして集まって来たが、ユダヤ人はそれを見て
ねたみ、パウロたちが話すことに反対したが、パウロとバルナバは勇敢にも、「神の言葉は、まずあなたがた(ユダヤ人)
に語られる筈だったが、あなたがたはそれを拒んでいるので、異邦人の方に行く」(46節)と述べた上で、主の命じておら
れることを、表記のように語った。こうして、主の言葉は、その地方(アンテイオキア)全体に広まった(49節)と記され
ている。これは、<神の計画に従って自動的に広まった>ということではないし、<パウロやバルナバの努力が実って>と
いうことだけでもない。また、ユダヤ人の反対という災いが福に転じたといった運命のいたずらでもない。そうではなくて、
神の救いの御意志が貫かれ、「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」(52節)からである。
私たちも同様であります。私たちは光をもたらすどころか、人を躓かせて、主の御名を汚して、せっかく与えられた福音
の光を消しかねない者であるが、私たちが曲りなりにも、御言葉を聴き、そして、イエス・キリストの救いを指し示すこと
が出来るならば、神は私たちにも「あなたを異邦人の光と定めた」と言ってくださり、「キリストの使者」としてくださるの
であります。欠けの多い、また力の乏しい私たちでありますが、主の言葉の担い手として、用いようとしていてくださるので
あります。 (6月29日の礼拝説教より)